ヴィパッサナー瞑想法掲示板スレのまとめ。「頭は3週間で良くなる」にも通じる知覚、身体感覚を鋭敏化させる瞑想法。ヴィパサナ瞑想的脳力開発法。
http://makimo.to/2ch/life7_psy/1071/1071698342.html
ヴィパッサナーは“今という瞬間に完全に注意を集中する”実践です。
何をしていても、“今・ここの自分に気づいていく”こと。
それが、ヴィパサナーです。
自分を客観的に“よく観る”のです。
今ここの一つ一つの瞬間に意識を向ける。
心地よいことでも不快なことでも、 ありのままの体験を価値判断しないで、そのまま観るのです。
葛藤をシャットアウトしたり、コントロールしようとして新たな問題を作るのではなく、 ただ気づくだけ。
それが観るということです。
それが苦悩を超える道です。
安らぎが訪れ、心と体を癒すことになるのです。
波立っている水面が穏やかになってすべてを映し出すように、 深い智慧と洞察力が生まれてくるのです。
私たちの日常生活のあり方は、すぐ評価を下したり、防御や攻撃をしたり、 落ち込んだり舞い上がったり、無意識のうちに自動的に反応しています。
私たちは、その自動反応に莫大なエネルギーを使い、 心はあちこちさ迷って思考や幻想の中を漂っています。
ヴィパッサナーはいつでもどこでも実践できます。
今ここの動作、行動、感情に気づいているかどうか、それだけのことです。
私たちは、ちょっとしたことで感動したり、悲しくなったり、 暗くなったりしてしまいますが、
このまだ育っていない子供のような心は成長できるはずです。
ヴィパッサナーをしていると、人からなんと言われようと、 誉められようとけなされようと、心の中に感情の波は起こらない。
そういう落ち着いた心が出てきます。
ヴィパッサナー瞑想のテキストは、 パーリ語経典の『マハーサティパッターナ・スッタ』 つまり『Mahasatipattana sutta』です。
漢訳で相当するのは『大念住経』『四念処経』。
残念なことに、まだよい日本語訳は無いようです。
コメンタリーとしては英語なのですが、 ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン師による 『TRANSFORMATION&HEALING』(Parallax Press)が
分かりやすく絶対おすすめです。
↓
邦訳は現代文訳なら、以下があります。
http://www.kotobuki-p.co.jp/nakayama/g-menu.html#11
http://www.shunjusha.co.jp/book/11/11222.html
↓
『大念住経』の和訳ならパーリ語のCDと一緒に↓から出てるよ。
http://homepage2.nifty.com/dhammapada/
あと『南方仏教基本聖典』中山書房仏書林にも出てるよ。
マハーシセンターでも鼻孔に集中してる教師は居るよ。
これは記憶違いだったらスマソなんだがスマしもそれが出来るなら鼻空に集中出来れば 進歩は格段に早いって言てたとおもうがな。
マハーシ・システムのラベリングについて
1.言葉によるラベリング
2.ラベリングの言葉を、一つに決める
例えば、アラハン、ブッドーとか、とにかく気づきが有るたびに アラハン、アラハンとかラベリングする。
3.ラベリングを捨てる。
こういう段階を経ないとカニカ・サマディ(刹那定とか瞬間定)は 達成できない。
とのこと。
仏教には、二種類の瞑想方法があるだよ
サマタ(一点集中型)
ビパシャナ(純粋観察型
バーワナー(瞑想とか実践とか)
マントラ瞑想はまさにサマタだと思うべな
サマタ瞑想が40種類、ビパサナが2種類だよ(心と身体の観察)
てらわだ仏教が依拠すてるのは、南伝大蔵経とゆー仏典群の集成なのでつが 仏典はその内容によって律・経・論の三種に分類される。
律(戒律について)、経(ブッダの教え)、論(教えの注釈書)なわけ、
大念住経=サティパッターナスッタ=気づきの確立の教え、といふ経 の中にビパッサナーの目的、意義が書かれている。
すかしこれを読んでも ビパサナ瞑想の具体的なやり方は、いまいち分りまちぇん(笑)
アビダンマッタサンガハ=摂アビダルマ議論=南方仏教哲学概論 といふ論 てらわだの坊さんが一番初めにベンキョーする仏典 心の分類や瞑想法の分類等ワンサカ書いてあって、読みきれまちぇん(笑) 心とは対象を捉える認識作用うんぬんかんぬん
寂しさや不安を感じる自分と常に向き合い続けること。
これは自分をより強くするとてもいいトレーニングになるでしょう。
我慢している自分、寂しい自分、不安な自分をどう押さえ込むか?ではなく、 また、そんな感情をどう感じないようにするか?ではなく、
ただ、その当たり前の感情に向き合い続けることが大切です。
どんな感情も感じていれば変わって行きますし、 ネガティブな感情も自分の心との繋がりを深めるにつれて、 安心感や自信を手に入れることができるようになります。
by臨床心理学者
他人の動きによって自分の感情のバランスを失う者は、 他者の動きに要求が多い。
他者の一挙一動が自分の感情を混乱させるのであるから、 他者への要求が多くなるのも当然であろう。
要求の多さは、人間関係を壊していく。
自灯明は、安穏な心を作る大切なポイント。
智慧の現れる順番
・名色分離智慧みょうしきぶんりちえ 色(身体、身体の活動)と名(心、認識、認知、知覚)を区別する智慧。
・縁摂受智慧えんせつじゅちえ 正しい因縁を受け取り、理解すること。
・思推智しゆいち 無常、無我、苦であると思う智慧。
・生滅智しょうめつち 全ては生じては滅ぶと理解する智慧。
・壊滅智かいめつち ただ、全てが滅んでしまったと理解する智慧。
・怖畏智ふいち 全てが恐ろしいと感じる智慧。
・過患智かかんち (諸行の)欠点を見出す智慧。
・厭滅智えんりち 厭い、嫌だと思う智慧。
・脱欲智だつよくち 全てから逃れたいと感じる智慧。
・省察智しょうさつち 再び考察する智慧。
・行捨智ぎょうしゃち 激しい努力もせず、諦めもせず行を続ける智慧。
・随順智ずいじゅんち
・種姓智
・道智
・果智
・省察智
「実況中継は、雑念や思考を止めるだけのものだよ〜!」 と書いていたが、これってホント? だとしたら、実況中継の代わりにマントラ唱えていたっていいのでは?
↓
マントラではダメですね。
オートマチックになりますね。
惰性になるんです。
惰性になると頭にゆとりが生まれて思考が始まるんです。
妄想が始まるんです。
「今、ここ」を実感してそれを実況中継するのがやっぱりいいですね。
「今、ここの感覚や思考や感情」をしっかり認識していれば 感情の塵が無意識層へ抑圧されていくこともありません。
頭はクリアになります。
抑圧された感情は必ず問題として現れます。
感情も塵も積もれば山となるです。
その山が日常生活で問題となって噴出します。
気づきが、明確になりスピードも上がるとラベリング(実況中継)が 追いつかなくなります。
だから、いずれは実況中継しなくなるのでしょう。
でも、それはかなり進歩した境地でしょうね。
実況中継は補助輪かもしれませんが、末永く付き合っていく補助輪ですね。
罪悪感は、無意識層へ入ってしまうと、質が悪い。
無自覚のままに、不幸を選択してしまうからだ。
人間は、基本的に罪を犯すと、その償いをしようとする心の働きがある。
「罪を犯した私には罰が必要だ」
「罪を犯した私には幸せは似合わない」となってしまう。
意識上にあるなら、対処のしようがあるが、無意識での働きだから、 どうして、私は、幸せを望みながらも不幸な人生を送っているのだろう?となる。
個人の意見を言ったまでだとしても、自分のどこかに、嘲笑的物言いをしたなぁと 心に引っかかっていたら、それが罪悪感となる。
そんな小さな罪悪感でも、解消されないと塵も積もれば山となるである。
その罪悪感の山が、無自覚に不幸を選択させる。
幸せを掴む能力があるのに、「幸せを掴む」という選択を避けることになる。
ヴィパッサナーで意識の領域が広がれば、無意識層へ隠れていた罪悪感に気づく。
罪悪感を意識化することで、人生が改善していく。
☆阿羅漢☆ とりあえずゴール☆ヽ( ´∀`)ノヒャッホー!☆
↑
智見清浄
・随順智
↑
行道智見清浄 正しい修行の過程を知る。
・行捨智 激しい努力もせず、諦めもせず行を続ける智慧。
・省察智 再び考察する智慧。
・脱欲智 全てから逃れたいと感じる智慧。
・厭滅智 厭い、嫌だと思う智慧。
・過患智 (諸行の)欠点を見出す智慧。
・怖畏智 全てが恐ろしいと感じる智慧。
・壊滅智 ただ、全てが滅んでしまったと理解する智慧。
・第三の智慧 第一は、脹らみを分かる智慧。
第二は、脹らんでいると念じている心を分かる智慧。
↑ 第三は、脹らみを分かる智慧と脹らんでいると念じる心を分かる智慧。
↑
道非道智見清浄 正しい修行法であるか、そいれとも誤った道であるか判断する。
・生滅智 全ては生じては滅ぶと理解する智慧。
・観捨智慧
・思推智 無常、無我、苦であると思う智慧。
・推智慧 推測的な智慧。
←現見智(現在の対象を念じる智慧)から発生する智慧。
↑
渡疑清浄 過去、未来、あるいは現在において自分が存在することに関する疑いが解ける。
因果のサイクル。
・縁摂受智慧 正しい因縁を受け取り、理解すること。
↑
見清浄 「念じる対象」と「念じる心」しかないと正しく確認する。
心が先。
・名色分離智慧 色(身体、身体の活動)と名(心、認識、認知、知覚)を区別する智慧。
↑
凡夫
ヴィパッサナーの具体的な実践法に主眼を置いたテキストとしては 色々あるなかでも特に
ミャンマーの瞑想―ウィパッサナー観法
マハーシ長老 (著)
が良い本であると自分は感じました
いくつかのヴィパッサナー観法の本では 著者がヴィパッサナー観法によって得られた考えや真理などの 自論の展開や人としてのあり方、社会批判、この世の道理などに 多くのページをさいたりするものもありましたが
上記のテキストはどちらかというとヴィパッサナー方法マニュアル、 ヴィパッサナー取り扱い説明書に近く 押し付けがましいところが少なく 「是をやったら是が得られるので試してください」のような風の記述でした
集中力の作り方は?
↓
仏教、ヴィパッサナー、念処、正念における場合の念の集中力 ということでしたら 古典的な方法ですが蝋燭の火を見詰め続けるとか 意識を自分の体の中のどこか(たとえば眉間、臍)に集中し続ける
か自分の体の外の対象に意識を集中し続ける・・・ などより他には無いと思います。
自分の体の外の対象に意識を集中し続けるでは 例えば好きな音楽を聞きながらその旋律に意識をとぎれないように
集中し続けるとかピアノの音のみに集中し聞き続けるとか 眼耳鼻舌身意の何かを使って色声香味触法の何かに集中し続ける 感じ続ける・・・などより他には無いと思います。
呼吸を数える数息観や足の歩を数える歩行観などは 意識の集中力を高めますが 数息観、歩行観になってきますと集中力の訓練どころか そもそもそのままヴィパッサナーになり念処になり正念の行為に
なってしまいます。
鶏が先か卵・・・になりよくわからないことになります。
ヴィパッサナー、念処、正念の意識の行為自体がそもそも集中力を 作り向上させる行為、訓練であり 集中力を作り向上させる行為、訓練がヴィパッサナー、念処、正念の 意識の行為となると思います
それ故、集中力を作り向上させる行為、訓練法というものが あるとするならば ヴィパッサナー、念処、正念の意識の行為を 意識の集中が切れるまでできるだけ長く継続、実践すること
となります。
数息観ですとできるだけ長い時間可能な限り 意識をそらさず呼吸の数を数え続ける ということになり
歩行観ですとできるだけ長い時間可能な限り 意識をそらさず歩数を数え続ける ということになります。
数息観や歩行観はヴィパッサナー、念処、正念の意識の行為の 本来のあり方としては呼吸や歩数の「数」を数える数観ではなく 呼吸の出入りや歩行の足の上下右左などをその全く在りのままに 観察する随息観などやこんな言葉は無いかもしれませんが
随歩観がよりよいと思います。
集中力の訓練のみというのならば数息観や歩行観でも問題無い と思います。
「ピンボケで撮影された映像はピンボケで再生される」
記憶をこのように喩えている説明がありました。
テレビの科学番組だったと思います。
ヴィパッサナーで明確に隙間無く対象を意識していれば 記憶力の向上にも繋がるような気がしました。
ウエートトレーニングで、 負荷が掛かってる筋肉の部分を「意識してください」と トレーナーが指導することも、興味深い感じがします。
ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践 (地橋 秀雄)
本格的なヴィパッサナー瞑想の実践マニュアルを、独習用テキストとしてまとめ上げた決定版になっている。
「サティ」という気づきの技法が、これほど緻密に、分かりやすく説明されているのは驚きに値する。
さらに、ヴィパッサナー瞑想の本義でもある「心の清浄道」の実践マニュアルとして、心の反応パターンを正しく組み替えていく技法の数々が紹介されているのは圧巻である。
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自分を変える気づきの瞑想法―やさしい!楽しい!今すぐできる!図解実践ヴィパッサナー瞑想法(アルボムッレ スマナサーラ)
こころを育てて自分を変えてみませんか?毎日のストレス、悩み、苦しみばかりの日々に疲れていませんか?こころが落ち込むと次々と不幸が押し寄せてきます。
気持ちが明るく元気になれば人生はうまくいきます。
今すぐカンタン、その場で試せる“ヴィパッサナー瞑想法”このとっておきのトレーニングであなたは変われる!なりたい自分になる一番簡単で唯一の方法。
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ミャンマーの瞑想―ウィパッサナー観法(マハーシ長老)
ミャンマーのマハーシ長老(1982年没)により42年にミャンマー語で発表されたものの初の邦訳。
自己を見つめることによって自己清浄と完全な悟りを得る瞑想法である。
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やさしいヴィパッサナー瞑想入門(アリンナ ワイスマン)
西洋人女性瞑想指導者によるヴィパッサナー瞑想の入門書。
厳格にテーラワーダ仏教の伝統式形式に沿ってまとめる。
ダルマの世界、ブッダの教えに導く一冊。
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ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法(ウィリアム ハート)
ヴィパッサナーは、からだと心の現実を探索するきわめて実践的な瞑想法である。
この瞑想法をおこなえば自分のなかにひそむ問題をさらけだし、それらをすべて解決することができる。
さらに潜在能力をフルに発揮させ、自分の幸福のみならず全人類の幸福のために、その能力を生かすことができるだろう。
永年ミャンマーの仏教徒の間で伝承され、それ自体にはまったく宗教的な色彩がなく、どのような背景を持った人でも受け入れ、実践することができるヴィパッサナー瞑想法を理念から実践法まで解説する。
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