ヴィパッサナー瞑想法掲示板スレのまとめ。「頭は3週間で良くなる」にも通じる知覚、身体感覚を鋭敏化させる瞑想法。ヴィパサナ瞑想的脳力開発法。
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1139523455/
ヴィパシャナ一本槍では、飽きたり、行き詰ったり するが、原始仏教、中山書房仏書林とか仏弟子の告白、尼僧の告白 読んだり、スマ師やウ師の説教テープCD聞いたりしている。
他の長老方にも出して欲しいね。
切り口が違うだろうから。
アーナパーナサティスッタとマハーサティパッターナスッタは必読かと。
得るところがあるかと思われ。
分析や反省でも嫉妬心はだいぶ和らぎますし、普通はそういう方法などで、嫉妬心を 乗り切ってます。
でも、嫉妬心をサティするというのは、ある種、別次元の手法です。
嫉妬心にビシっとサティが入ると、嫉妬心が軽減するなどではなく、まさに一瞬にし て嫉妬心は消えてしまいます。
分析もへったくれもありません。
理屈抜きです。
サティしてもそうならないのは、それがサティになってないからです。
まさに本気でサティできないとダメです。
わたしは長老から「自分の背後から、ちゃんとサティできてるか監視している人物が いて、もしサティが少しでも途切れたら、その瞬間に背中をナイフで刺されてしまう」
という状態にいるつもりでサティしないといけないと諭された。
まずは徹底的に集中して自己観察いないと。
反省、分析とは違う道です。
↓
五根の中の「ヴィリヤ」の要素でしょうね。
強迫的にサティをしているとも受け取れるのですが、言わんとしていることは分かります。
サティで悪感情を乗り切ろうとしたら、それ程にならないといけないということです。
サティをしていると、どんどん妄想が湧いていることを知ります。
妄想の種は、「基本欲求」であったり「悲しみ=怒り」などが主だと思います。
国民性とか育った環境に左右されるのかもしれませんが、 サティの内容を素直に認める人と、 サティの内容を直ちに否認(再抑圧)する人がいると思います。
この点が意外と盲点だと思います。
とにく牧歌的な国民の人にはピンとこないと思います。
基本欲求と言えば、性欲などが分かりやすいですが、 実は「無条件で受容されたい守られたい」というのも基本欲求です。
経験すれば満たされ、解消される欲求ですが、バカ親の元では満たされません。
日本や他の先進国に起こりがちな問題のようです。
大人になってこの欲求が顔をだすと「否認(再抑圧)」しがちです。
サティで現れても素直に認めません。
「強度の妄想の永久循環」の理由はこのあたりにも一因があると思います。
サティにしても、精神分析にしても、自己欺瞞と素直さが分かれ道になると思います。
↓
わたしも瞑想していて、おっしゃるとおりと思ってます。
五戒の中に、嘘をつかないというのがありますが、 これは、他人に嘘をつくことはもちろん大切ですが、 最も難しいのは、自分に対する嘘をつかないことだと痛感します。
清濁すべて、自分に現れるすべてをありのままに観察できてないことが この瞑想を失敗にしてしまっていると、ホント、痛感します。
偽善者になってしまっては、うまくいきません。
でも、ほぼ無意識のうちに、見たくないことは避けているんですね。
これって、自我を維持するための自己防衛機構なのかもしれませんね。
この機構が崩壊して、自我の維持にとって都合の悪い、見たくない 現実であっても、善悪の判断とか抜きにありのままに見ること ができることが必要だと思います。
これってなかなか難しいです。
サティするってことは、ありのままを見る ことのトレーニングだとも言えるのではないでしょうか。
とにかく、素直にありのままに、生じた現象をちゃんとサティできるか が大切。
集中してやり、かつリラックスして、何でも生じた現象はすべて 素直にサティしていく。
こう努力してます。
どんな直面したくない現象でも、みんな素直に坦々とサティしていく。
そのためにはリラックスして楽しくやる。
長老がいつもそう言ってるのもわかります。
ヴィパッサナー瞑想のゴール終点は、輪廻解脱だから 心理学の枠組みには、おさまらないと思います。
でも、心理療法的な効果は、ふんだんに有りました。
ヴィパッサナーには前提として八正道が重要。
それは、罪悪感があると集中力の妨げになるから。
罪悪感からの妄想を気づくことでいっぱいいっぱいになってしまうから。
ヴィパッサナーとは並行して、「慈しみ」が大切。
釈尊の教えにおいて、対人関係の行動基準は、「慈しみ」。
要約すれば、「忘我」の状態が安穏状態。
でも、「気がかり」があれば忘我の状態になれない。
気がかりの一つに「罪悪感」がある。
悪いことはもちろん、良いことも度が過ぎれば気がかりになる。
だから、釈尊は「ほどほどに」と説いた。
心に「葛藤」があれば、無我状態になれない。
素の自分を受け入れれば、葛藤は解消される方向に向かう。
しかし、絶対に素の自分を認めない。
否認する。
だから、葛藤が解消されない。
「素の自分はOKではない」と心の底で自ら頑なに決め付けている。
小さい頃、素の自分で拒絶された経験からそのような「自分像」が出来たのでしょう。
普段、「素の自分ではOKではない」を感じていることは不快なので抑圧する。
抑圧するから葛藤になる。
葛藤があるから、無我状態になることができない。
「素の自分ではOKではない」と感じている人は、虚勢を張る。
虚勢を張っているから、他人のアドバイスに耳を傾けない。
「素の自分」を刺激するものを避けるか、攻撃する。
ヴィパッサナーは、自分の無意識層にある抑圧と出会うチャンスを与えてくれる。
しかし、せっかく意識層に「抑圧物」が浮かんできても、虚勢タイプの人間は否認する。
だから、妄想のボリュームが減っていかない。
ついには、ヴィパッサナーの非難を始める。
マハー・サティパッターナ・スッタ(大念処経または大念住経) アナ・パーナ・サティ・スッタはじっくり読み込んでおいたほうが 良いと思います。
http://maharsin.com/yogavercity/Hsati/sati00.htmlのサイトはおすすめです。
あと
中山書房仏書林 原始仏教第11号(大念処経・バーヤーシ経)
http://www.kotobuki-p.co.jp/nakayama/index6.htm#gen
春秋社シリーズ原始仏典2 長部経典U
http://www.shunjusha.co.jp/book/11/11222.html
日本テーラワーダ仏教協会(大念処経 カセット講義)
http://www.j-theravada.net/cassette.html#other
スリランカの店ウイラ(ダンマパダを学ぶ会 ウ長老) (大念住経リメーク版 全4巻)
http://homepage3.nifty.com/weera/sub-sati.htm
ミャンマーの瞑想―ウィパッサナー観法(マハシ長老著 ウ長老訳)
以上は図書館にもあるかもしれない。
サマタも必須では? スマ長老の場合、慈悲の心を養うのも 兼ねて慈悲の瞑想=サマタを教えてるわけで。
サマタが40種類あるのは、人それぞれの性格とかに応じて どれか(1つないし複数)を修行するのが適当かと。
ある本で見たのでは、地面に円を描き、それを見ながら 瞑想し、心に円相が浮かび、それに集中する、というのがありました。
私はヴィパッサナー瞑想で神経症(ノイローゼ)から救われました。
いろんな物事が気になって仕方がなかったのですが、 流れるような心をだんだんと取り戻しているように感じます。
もっとも優れたヴィパッサナーの本ならこれだろ。
「アーナーパーナサティ・スッタ」
↓
大念処経=マハーサティパッターナスッタの片山氏の訳(原始仏教・第11号)もイイよ。
1429円+税だからこの種の本では安い方でしょ。
初心者は、歩行瞑想時には、フォーカスは足だけに絞るほうが良い でしょう。
で、事実に対して、概念の嵐が沸き起こってくる。
「足ってなんだ?」 「どこからどこまでが足というもんだ?」「あげるってなに?」 初期に徹底してやると、その概念構造がどんどん噴出してくる。
そこで、今現在の自分の習性を発見し、観てみてみていくうちに ひとつづつ把握し、わからない部分で理解を終え、一段成長。
瞑想を終ったあとはしばらくその集中力を持続することができます。
これも、その 場かぎりの効果であって、それが日常生活にまったく反映できていないのが悩まし いところです。
そのうち必ず日常生活にもいい影響がでます。
循環がおこってきます。
瞑想が日常生活へ影響をあたえ、日常生活が瞑想に影響を与え・・・という循環です。
そして瞑想と日常生活との垣根がだんだん低くなります。
30分も集中できるということはすごいことですよ。
地橋氏は毎日、10分の瞑想をすすめているらしいが、同意ですね。
毎日、10分の積み重ねですよ。
身体はとてもおりこうさんです。
正しい方法で稽古や瞑想をつづけていれば 必ずや変化していきます。
たとえば鳥の声が聞こえたとき、 瞬時に鳥のイメージが浮かんでしまい、 次に声が聞こえたのだということに気付きます。
声が聞こえてからイメージが浮かぶはずなのに、
サティの順番があべこべでいいのでしょうか?
↓
先に鳥のイメージが浮かんだのならそれでいいと思いますよ サティはあるがままに入れるものですから
瞑想でいう気づきとは,絶え間ない気づきのことをいい, 日常生活で自らの中に起こるあらゆる精神活動について, 鋭い注意力によって,強く意識することなく,弱い意識力レベルで, その起こりと続きと終わりが個別的に把握され続けることをいいます。
欲情反応にも,思考にも,いらだちにも,実は,視覚など感覚にも, 始まりと持続と終わりがあり,そういったコマの集合体が意識を形成しています。
意識は実は連続しておらず,1個,2個,・・・と数えることができます。
定が少し定まってくると,そのような意識の形成が分かるようになります。
それは心に非常に安定感をもたらし,平常心を醸成させます。
それが, 気づきと呼ばれ,第二禅と伝統的には言われるものの入り口ですね。
ブッダの瞑想法―ヴィパッサナー瞑想の理論と実践 (地橋 秀雄)
本格的なヴィパッサナー瞑想の実践マニュアルを、独習用テキストとしてまとめ上げた決定版になっている。
「サティ」という気づきの技法が、これほど緻密に、分かりやすく説明されているのは驚きに値する。
さらに、ヴィパッサナー瞑想の本義でもある「心の清浄道」の実践マニュアルとして、心の反応パターンを正しく組み替えていく技法の数々が紹介されているのは圧巻である。
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自分を変える気づきの瞑想法―やさしい!楽しい!今すぐできる!図解実践ヴィパッサナー瞑想法(アルボムッレ スマナサーラ)
こころを育てて自分を変えてみませんか?毎日のストレス、悩み、苦しみばかりの日々に疲れていませんか?こころが落ち込むと次々と不幸が押し寄せてきます。
気持ちが明るく元気になれば人生はうまくいきます。
今すぐカンタン、その場で試せる“ヴィパッサナー瞑想法”このとっておきのトレーニングであなたは変われる!なりたい自分になる一番簡単で唯一の方法。
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ミャンマーの瞑想―ウィパッサナー観法(マハーシ長老)
ミャンマーのマハーシ長老(1982年没)により42年にミャンマー語で発表されたものの初の邦訳。
自己を見つめることによって自己清浄と完全な悟りを得る瞑想法である。
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やさしいヴィパッサナー瞑想入門(アリンナ ワイスマン)
西洋人女性瞑想指導者によるヴィパッサナー瞑想の入門書。
厳格にテーラワーダ仏教の伝統式形式に沿ってまとめる。
ダルマの世界、ブッダの教えに導く一冊。
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ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門―豊かな人生の技法(ウィリアム ハート)
ヴィパッサナーは、からだと心の現実を探索するきわめて実践的な瞑想法である。
この瞑想法をおこなえば自分のなかにひそむ問題をさらけだし、それらをすべて解決することができる。
さらに潜在能力をフルに発揮させ、自分の幸福のみならず全人類の幸福のために、その能力を生かすことができるだろう。
永年ミャンマーの仏教徒の間で伝承され、それ自体にはまったく宗教的な色彩がなく、どのような背景を持った人でも受け入れ、実践することができるヴィパッサナー瞑想法を理念から実践法まで解説する。
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